新春メイドさん放談2010
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年に一度の自作自演タイムがやってまいりました。
ご意見などありましたらここに書いていただけると米寿の寿命がちょと延びるかもしれません。
- [2010/06/20 20:07]
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コメント
大爆笑
俺の名前がでてるー!(笑) ありがとうございます(爆笑)。これでわたしもメイド業界へ一歩を記したということでしょうか?!
いやいや、ハウスメイドサービスの話とかほぼ毎年お名前は出てたと思います。後頭部のこととかも喋ったんですが、さすがにカットしました。あとこのへんは業界ではなく番外地的などこかですねw
毎年楽しみに拝読させていただいています。今年も楽しませていただきました。
ご指摘のように、同人誌を出した頃のメイドさん学科のメンバーの間では、特に「あるべきメイドさん」の共通了解を作ったりはしていなかったかと思います・・・ニフティのパティオで交わされた議論の中で、それぞれが理想を語っていたりはしたようにも思いますが。それから、拙文で言及した裁判についてですが、当時原典を遡ろうとしたものの(イギリスは判例法の国なので、かなり古い裁判記録まであたることが出来るのです)、英米法専攻の人に相談する言い訳がどうしても思いつかずに断念したような覚えがあります(笑
こちらこそ毎年コメントいただいてありがとうございます。
>それぞれが理想を語っていた
その「理想」がどこから来たのか? という話は、煮詰めていくとかなり面白くなるのではないかと思っています。
それと裁判の件はオチがわからないほうがロマンチックな気がしてきましたw
またもや言及ありがとうございます。
今回も参考になりました。
テレビで言うと、小公女もありましたね。
ヴィクトリア朝作品が少ないのは逆に資料が多すぎて、
深すぎる方が一定数いるから書きにくいのかもしれません。
テキストで言及いただいた点で一点、墨東さんのお話で、
>そうするとあまり久我さんはじめ歴史的メイド好きにはよろしくない結論になってしまいますが。見当違いですよね我々っていうオチで終わる気がして。
とありますが、私は「日本のメイド喫茶」の原点が英国、
という主張を一度もしていませんので、誤解を正したく。
「日本のメイドさんをきっかけに英国のメイドに興味を持てる」と
私は言っていますが、日本の原点は分からないとする立場です。
(詳しく知らないので)
その点では、アメリカ説に興味を持っていますし、
服という点では、最近、「香港かも」と思う機会がありました。
香港のメイド事情を調べていて、1994年に撮影されたという、
ショーウィンドウの中のメイド服がまさに秋葉原的なものでした。
同じ国で同じ時代に生きていたはずなんですが、分からないことは多いですね。
アップお疲れ様です。
自分のところで紹介するのが遅くなりまして済みません。
で、横から失礼します。
久我さんのコメントに関しまして。
>>私は「日本のメイド喫茶」の原点が英国、
>>という主張を一度もしていませんので、誤解を正したく。
話した当人も読み返して首を捻る、文字通りの放談となってしまっていて、誤解をお招きして申し訳ありません。
該当部分の話の流れは、「メイド喫茶」という一つのタームに限定したわけではなく、日本の現在の「メイド」的なもの全般を指しています(話題の発端は同人誌『「メイド喫茶の起源はSM倶楽部ではなかろうか」論』ですが、別に「メイド喫茶」限定の話をしているつもりはありませんでした)。
そして、日本の現在の「メイド」的なるものは、歴史的文脈から「流れ流れて切り離された要素」であるとするならば、そこで歴史的な事実や文脈を追及するという、歴史性を重視して日本の現在の「メイド」文化の状況に臨むことは、畢竟「見当違い」に他ならないのではないか、というつもりです。
その後の対談の流れでは、酒井翁の情熱とロマンに打たれて、そこを繋ぐ回路を見いだせないかと考えてみたのだと思います。
どうも、久我さんにはご不快の念を与えてしまい申し訳ありませんでした。
今後はこのようなことがないよう注意したいと思います(来年の放談に懲りずに酒井翁がご招待下されば・・・)。
なお、今対談から半年を閲して考えるに、やっぱ繋がらなさそうで、繋がらず断片的に「歴史」が消費されるところに「ゼロ年代」のオタク文化の特徴があったんだろうなあ、とも思っています。
そのように思うに至った経緯などは、まとまれば自分のところでぽちぽち書いていければと思います。
ご回答、ありがとうございます。
伝わったことが伝えられたことですが、難しいですね。
私に自覚は無くとも、客観的に見ればそうでしかないこともありますから。
>歴史性を重視して日本の現在の「メイド」文化の状況に臨むことは、
>畢竟「見当違い」に他ならないのではないか、というつもりです。
おっしゃるとおりだと思います。
観測者の様々なイメージを包み込み、多様な表現者(メイド喫茶含む)が
表現を膨らませて共有する「メイド像」を日本の現在の「メイド」文化とすれば、
日本の消費の中で「歴史性」は、楽しみ方の一部だと思っています。
私が歴史性によって文化に臨んでいる点は否定しえませんが、
私にとって歴史的に存在したメイドを調べて伝えていくことは、
日本のメイドの正統性の実証として歴史を重視しているわけではなく、
ただ私がその時代に生きた人や、彼らの働き方や仕事が好きだからです。
歴史受容における「繋がらず断片的に「歴史」が消費」される点についての論考は、
是非、読ませていただきたいと思います。
世紀末からゼロ年代へとスパンが広がりましたが、
その長期を見渡せる方はやはり、墨東さんや酒井さん以外にいませんので。
私は、当事者過ぎますね。
前提として、お二方が何度か言及されたmixiコミュニティの当時の話を、
私が体感していないというところが認識におけるずれの大きさも感じますが、
またどこかでお話できればと思います。
話すと早いと思うのですが、また機会を見てお願いできればと。
>久我さん
事前にある程度お断りしていたとはいえ、今回もけっこうお名前を出してしまいました。
>ヴィクトリア朝作品が少ないのは逆に資料が多すぎて、
>深すぎる方が一定数いるから書きにくいのかもしれません。
これを読んで、やっぱりヴィクトリア朝は「隙がない」のではと思ってしまいました。うかつに想像の翼を広げるとすぐにツッコミが入る時代が果たして創作の舞台として適しているのか? という話ですね。
>墨東さん
そちらのブログで告知していただいてありがとうございます。次回やるかどうかはまだわかりませんが、やるなら墨東さん抜きでは始まらないと思っていますので。
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